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・中国で張薔によってカウントされた数字は、どんな歌手も比べものにならない
16歳で音楽の世界に飛び込んだ張薔(ジャン・チャン)。
1985年に6枚のソロアルバムを制作出版。
1986年になると、張薔は毎月1枚というペースでソロアルバムを出版し、年末には合計11種類を数えた。
1985年から1992年までのたった8年間の間に張薔は中国の音楽映像出版社14社で27枚ものソロアルバムを制作している。業界関係者による固めの集計結果でも、27枚のアルバムの総売上げ数はもう2000万枚を優に超えているという。
冷静な張薔は輝かしい当時を振り返りこう話す。「あれは全てが珍しくて不足していた時代だったから、あんなに多い売上げ数も別に奇跡っていうほどのものじゃないわ。」(張薔自身過去を軽視しているのだ)
・中国の都市流行音楽の先がけは、張薔だろうか?私たちはまずこの答えを保留しておこう
中央電視台の≪同一首歌≫(同じ歌)パーティー計画グループが大物歌手の物色をしている時、張薔は絶対に欠かせない人物の一人であった。というのも彼女と程琳、張行は中国80年代中期の全ての流行音楽を殆ど独占していたのである。
その頃、国内には殆どどんなメディアも正面から張薔を報道したことがなかった。加えて"お膳立て"や"持ち上げ"は話すまでもなく、十数年の歌手人生の中において、彼女がテレビに出ることは稀であったし、完全に制作されたCDに頼り自分の歌手活動を発展させていた。
一番人気があった年代のあの当時、張薔の歌声はすでに中国の都市や町の大通りや路地に満ちていた。誰でもいい、適当に25歳以上の男性女性を探して聞いてみれば、張薔を知らない人は少ないだろう。きっとすぐにこう答えてくれるはずだ。「ああ、張薔なら知っているよ、薔薇の『薔』って書くだろう」と。
多くの中国人家庭のカセットテープコレクションに、必ず張薔のアルバムを見つけることが出来るはずだ。
張薔は、純粋な"庶民"の中国の都市派歌手である。張薔は中国大陸流行音楽界での影響力により、1986年に初めてアメリカ『タイムズ』誌の取材を受け報道された中国人芸術家となり、ホイットニー・ヒューストン、ジェニファー・ロペス、テレサ・テンらと共にその年の"全世界6名の最も人気のある女性歌手"として紹介された。
"dia"(甘えた声やそぶり)は彼女の若い頃の音楽スタイルである。
彼女の歌声と音域は当時自閉症を患っていた全ての人たちに向けて、このように伝えた。「自分の愛を、激情と青春の興奮をあるがままに打ち放って。」
彼女の歌声は、一つの時代の音楽を変えたのである。 |